あおもり漁連の歴史
昭和31年~40年 行詰りー再建ー転落
15周年も田沢事件で水泡
昭和27年6月より32年までの5年間は、長期にわたる経営不振から累積赤字5900万円固定化債権3500万円に達した。その責任をとり31年7月平井四郎専務が辞任、また同年本会内部の不正事件で青森署の手入れを受けるなど混迷を極めた。このため32年から再建のため職員20名を整理、3月には再建委員会を発足させた。32年4月臨時総会を開き、鰺ヶ沢漁協組合長で県会議員の要職にある中村清次郎氏が、3代目の会長に互選された。
新体制のもとに新たに再建に取り組み、まず多額の欠損と不良化債権、借入金の償還に加え、事業の運転資金にも事欠く事態を乗り切るため①水産庁、県の指導、②青森魚市場を青森県に売却(5,250万円)③系統金融機関に対する債務免除(680万円)④財務内容の明確化⑤整備法の適用による信漁連からの無利子での4,700万円の借り入れなど次つぎと手を打った。
事業面では、購買において系統燃油の取り扱いの普及推進、資材は予約制度を取り入れ在庫および売掛金を最小限に押さえ取り扱いの拡大を図った。販売においてはコンブを主体とする海草類の系統販売、鮮魚およびホタテ貝の一元集荷体制を推進した。こうして、再建7年計画を3年短縮して36年度で完了。37年5月には整備促進達成記念式典を挙行した。
38年度決算において、初めて会員に対して出資配当があり、次年度も剰余金を出し配当を続け、経営は軌道に乗ったかに見えたが、40年度において加工事業で多額の欠損を出すことになる。これが”田沢事件”である。39年は港町に産地共同加工施設、製氷保管庫、製品倉庫が完成、これら施設の落成記念と併せて創立15周年式典を行った。ところが、県漁連が加工場の経営に不慣れで販路をもっていないことから、共同経営者に選んだ田沢水産の経営行き詰まり、不渡りに端に発し、専務を除く全役員の辞任、役員報酬の一部返上にまで至った。
新体制のもとに新たに再建に取り組み、まず多額の欠損と不良化債権、借入金の償還に加え、事業の運転資金にも事欠く事態を乗り切るため①水産庁、県の指導、②青森魚市場を青森県に売却(5,250万円)③系統金融機関に対する債務免除(680万円)④財務内容の明確化⑤整備法の適用による信漁連からの無利子での4,700万円の借り入れなど次つぎと手を打った。
事業面では、購買において系統燃油の取り扱いの普及推進、資材は予約制度を取り入れ在庫および売掛金を最小限に押さえ取り扱いの拡大を図った。販売においてはコンブを主体とする海草類の系統販売、鮮魚およびホタテ貝の一元集荷体制を推進した。こうして、再建7年計画を3年短縮して36年度で完了。37年5月には整備促進達成記念式典を挙行した。
38年度決算において、初めて会員に対して出資配当があり、次年度も剰余金を出し配当を続け、経営は軌道に乗ったかに見えたが、40年度において加工事業で多額の欠損を出すことになる。これが”田沢事件”である。39年は港町に産地共同加工施設、製氷保管庫、製品倉庫が完成、これら施設の落成記念と併せて創立15周年式典を行った。ところが、県漁連が加工場の経営に不慣れで販路をもっていないことから、共同経営者に選んだ田沢水産の経営行き詰まり、不渡りに端に発し、専務を除く全役員の辞任、役員報酬の一部返上にまで至った。


