あおもり漁連の歴史

昭和51年~54年 再建へのスタート

植村会長 自ら不退転の決意
幾多の危機、困難を乗り越えて50年5月16日、49年度通常総会が開催された。この通常総会こそ、県漁連経営体制の刷新と組織基盤の発展充実に向けてのスタートとなった。第十号議案で役員選任が行われ植村正治、高橋長次郎、磯野与三郎氏ら7人の理事が選ばれ、この理事団から5月19日、会長理事・植村正治、筆頭理事・磯野与三郎、専務理事・有泉要蔵の3氏を選出した。

当時の県漁連の状況は、水産庁検査書(50年3月9日)の指導事項によると①自己資本の基準が財務処理基準令に抵触しているので増資をはかられたい②事務体制の整備は必ずしも十分でないなどありがたくない指摘を受けていた。信用販売限度額を大きく超えたり、不良債権に悩まされることがないよう再建整備への指示であった。 新体制となった最初の課題は、「青丸食品販売㈱」の設立問題であった。これは「ホタテ貝の消費拡大を図るため、専門販売会社を設立し、全国的な消費の動向を把握すると同時に、ホタテ販売処理体制を確立し、ホタテ養殖産業の安定化に寄与する」目的で青森県漁連と丸善石油産業㈱の共同出資による新会社設立であった。しかし、その後「本来、商社と組むのは邪道であり、全漁連に販売委託するのが本来の姿である」との基本認識にたち、設立は中止された。さらにこの年8月には、江戸産業㈱、㈱ホクエーなどに対する事業未収金、固定化債権が発生、このほか4件、1億6,000万円もの不良債権を抱え込み、ついに県漁連は組織改革を断行(51年3月)し、総務部、業務部の二部、八課と機構を新たなものにした。同時に50年度通常総会で事業未収金の洗い出しを行った。結果、約5億5,000万円の固定化債権や在庫評価損などが算出され、欠損金も3,000万円を超え、多額の固定化債権と合わせ再建団体に転落した。

このため同総会で52年から5か年をメドとする再建計画策定が提案された。しかし、経営改善特別委員会設置案は見送られるなど県漁連執行部に対する厳しい姿勢が見られた。執行部は、再建に向けて懸命の努力を開始。ホタテの取り扱い手数料の引き上げ(1.6%から1.7%)、江戸産業㈱債権対策で思い切った損失金計上、原貝供給ストップ、担保物件の処分、機構面では庶務課を総務課に改名、工場部の設置、指導係が末端組合指導を行えるように指導業務の充実、大阪事業所の廃止などを打ち出した。これら種々の対策を積み上げた結果、51年度の通常総会で①固定化債権額5億2,000万円を、52年度を初年度とする56年度までの5か年で1億8,000万円回収する②執行体制の確立③機構分掌の整備④財務の健全化⑤産地市場設置の検討など再建整備計画を議決した。

52年の総会では、役員の選任が行われ専務理事に、県水産商工部労働部次長であった三浦健一氏が選任された。53年度の事業運営は新体制の下に強力に進められたが、ホタテ貝の貝毒発生、スルメイカ、コウナゴ漁の減少により、当初計画の達成は危ぶまれた。事態の打開を求めて、54年2月県下組合長会議を開催し、当初再建整備5か年計画の見直しを行うことで了承を取り付けた。

その結果53年度の通常総会では①3億円以上に対する鮮魚戻し奨励金の引き下げ②ホタテ手数料の引き上げなど各種対策を盛り込んだ「経営安定5か年計画」(54~58年)の提案、総会紛糾の中で植村会長の不退転の決意が述べられ、決定を取り付けた。

再スタートした再建整備の初年度の54年度は第二次オイルショックの発生、輸入魚増による在庫のだぶつき、大手水産会社の倒産が相次ぐという事態の中で、内部組織の体質改善、経営の合理化と減量対策、低金利運転資金の導入を3つの柱として推進された。