あおもり漁連の歴史
昭和55年~63年 車座、系統運動の必要性説く
再建2年目で不良債権解消
新体制の整備を行いながら、外に向かっては植村会長自らが漁協巡回をして、漁協役員との懇談を行い系統運動の必要性を訴えるという、画期的な活動を展開した。これら精力的な活動と事業運営の結果、ホタテ取扱高の増加、ヤリイカの豊漁、尻労地区大型定置業者の共販参加による取扱高の増加などに支えられて、事業運営は好転し、再建計画は大きく前進した。
引き続き55年度も堅実な経営を行い、損失金残額1億5,000万円を補てんしてなお、当期利益を計上するに至り、再建整備計画がスタートして2年目に、計画達成された。植村会長以下強力な指導陣のもと、他に類をみない早さで達成されたが、一方では予期しない厳しい問題も次々と持ち上がった。第一にホタテ貝の大量へい死、第二に原子力船「むつ」の再母港化である。またこれらと前後して第二次オイルショックも発生している。ホタテ貝へい死は、県漁連の懸命の働きかけで天災融資法が発動され漁業者の救済などが行われ、53年には終焉に向かい、順調な水揚げが期待されたが、茨城県で集団食中毒事件が発生し全国的な問題になった。窮地に立った県漁連は、北海道、岩手、宮城の各漁連に呼びかけ「一道三県ホタテ販売促進対策会議」を設置、さらにはいち早く安全シールを製品に張るなど独自の決断で事態を乗り切った。石油危機に際しても、青森県漁民会議を開くなどして極力休漁船を出さずに対処した。その後も積極的な事業運営が進められサケマス増養殖事業の推進、初の外海ホタテ貝放流事業の推進、鮮魚介類の消費宣伝のための流通課の新設、県観光物産館と青森空港での直販店の開設など矢継ぎ早に、かつ的確な漁連事業を展開した。61年度通常総会で三浦専務理事が勇退し、石岡専務理事が選出された。62年度県漁連決算は、当期剰余金1億3,000万円、事業総取扱高361億円。50年当時、事業総取扱高281億円、不良債権5億を抱えていた県漁連は、驚異的な変貌を遂げた。50年6月就任以来、不眠不休の経営努力を続けてきた植村会長は、61年全漁連総会で全漁連副会長に選出され、62年4月には黄綬褒賞を受賞した。青森県漁連がはれて創立40周年の記念式典を、何の憂いもなく迎えられたのは、会長自らが漁協巡回をするという協同運動の理念に基づいた活動を展開したからであろう。
引き続き55年度も堅実な経営を行い、損失金残額1億5,000万円を補てんしてなお、当期利益を計上するに至り、再建整備計画がスタートして2年目に、計画達成された。植村会長以下強力な指導陣のもと、他に類をみない早さで達成されたが、一方では予期しない厳しい問題も次々と持ち上がった。第一にホタテ貝の大量へい死、第二に原子力船「むつ」の再母港化である。またこれらと前後して第二次オイルショックも発生している。ホタテ貝へい死は、県漁連の懸命の働きかけで天災融資法が発動され漁業者の救済などが行われ、53年には終焉に向かい、順調な水揚げが期待されたが、茨城県で集団食中毒事件が発生し全国的な問題になった。窮地に立った県漁連は、北海道、岩手、宮城の各漁連に呼びかけ「一道三県ホタテ販売促進対策会議」を設置、さらにはいち早く安全シールを製品に張るなど独自の決断で事態を乗り切った。石油危機に際しても、青森県漁民会議を開くなどして極力休漁船を出さずに対処した。その後も積極的な事業運営が進められサケマス増養殖事業の推進、初の外海ホタテ貝放流事業の推進、鮮魚介類の消費宣伝のための流通課の新設、県観光物産館と青森空港での直販店の開設など矢継ぎ早に、かつ的確な漁連事業を展開した。61年度通常総会で三浦専務理事が勇退し、石岡専務理事が選出された。62年度県漁連決算は、当期剰余金1億3,000万円、事業総取扱高361億円。50年当時、事業総取扱高281億円、不良債権5億を抱えていた県漁連は、驚異的な変貌を遂げた。50年6月就任以来、不眠不休の経営努力を続けてきた植村会長は、61年全漁連総会で全漁連副会長に選出され、62年4月には黄綬褒賞を受賞した。青森県漁連がはれて創立40周年の記念式典を、何の憂いもなく迎えられたのは、会長自らが漁協巡回をするという協同運動の理念に基づいた活動を展開したからであろう。


